まだまだ未熟な自分と日々格闘しております。ふとしたきっかけがあって昔の事を思い出しました。
初心を忘れないという意味も込めて残しておこうと思います。
私の幼い頃は、外で遊びまわるというよりは、壊れた時計やラジカセを分解しては「中はどうなっているんだろう?」という好奇心を満たすことに喜びを見出したり、マンガやら動物やら自動車やらの絵を描いたりするのが大好きなタイプの子供でした。
父は工作機械系のエンジニアで、見たこともないような機械をダンボールに満載して家に置いていていたので、こういった研究材料には事欠きませんでしたし、母はピアノ教室の講師をしているという事もあってか芸術関係にはとても寛容で、クレヨンや色鉛筆や画用紙といった画材は不足なく与えてくれていたと思います。
そんな環境でスクスクと成長した小学校2年生のある日、父が会社から使わなくなった「大きな機械」を家に持ってきました。
1982年のこの日を起点に、「ボク」のコンピューター歴のカウントが回り始める事となります。
小学生だった当時は当然のようにメーカーなんて気にも留めていなかったので詳細は不明ですが、間違いなく海外製でした。時系列などを考慮するとZ80系CPUを積んだ工作機械の制御用のコンピューターだったと思われます。
このコンピューターが映し出すのは「黒と緑」しかその存在を許されない世界…黎明期のグリーンディスプレイは、デジタルが”1と0”なのだという事をいやおうなく感じさせる怪しい輝きを放っていましたが、また同時に新しい世界への期待感に溢れていたようにも思います。
今では考えられませんが、このコンピューターはデータの保存媒体として「カセットテープ」を使用していました…。コンピューター本体から伸びたケーブルを「ラジカセ」のマイク端子に差し込んで、タイミングを見計らいながらキーボードの”Enterキー”とラジカセの”録音ボタン”を押すと…約20分程度でデータ保存が完了です。当然読み込みするためにも同じだけ時間かかりますw
この時代にはフロッピーディスクもまだまだ高価だったと思いますので、データ保存はこのカセットテープに頼るしかないんですが、何しろ元は音楽用のカセットテープに音声として録音されているという事もあって、データがぶっ飛んでたなんて日常茶飯事でしたw
OSなんて呼べるシロモノは搭載されてないに等しく、唯一コンピューターと自分が交流をはかれるのは簡素なプログラミング言語である「BASIC」だけでした。父からカンタンなプログラムを習いますが、所詮は小学生です…そんな難しい事は覚えられません。確かこんなカンジだったかな?
10 PRINT "HELLO"
20 END
後は「RUN」と入力して”Enter”を押せばプログラムが走り始めます。画面には一言
HELLO
と表示されるだけです。それでも自分とこの良く分からない機械の交流があるんだという実感があってひたすら表示させまくってました。
HELLO
HELLO
HELLO
HELLO
HELLO
HELLO
HELLO
HELLO
プログラミングの世界では「Hello World」という言葉はある意味特別であると言えるでしょう。新たなプログラミング言語を習得する際に、まずは画面にこの言葉を表示させることが古くからの伝統となっています。
皆さんは新しい世界に出会っていますか?
あれから24年経った今でも「ボク」は新しい世界への扉を開き続けています。
「こんにちは世界!」
コメント (2)
こんにちは。
親の顔が見てみたいとはよく言うものですが、全くその通りで親兄弟から受ける影響は大きいです。
私の父も新し物好きだったので、よく家には色んなカメラや、電子手帳、PC、ワープロなど沢山ありました。そんな中で何となく興味を持っていったと言う感じです。「楽しいこと、美味しいことは皆で」この文句も今、社会にでて、色んな方と調和していうえで非常にやくにたっております。
興味を持つ前の土壌づくりを親からはしてもらったと日々思っております。
コメントありがとうございます。
くみんさんもマニアックな環境で育ってきたんですねw
確かに環境は凄く大きな要素を占めると思います。過去の環境も大事なんですが、やっぱり今も同じようにステキな環境を維持出来るかってのも大事なんだと思います。単純にモノとかお金とか場所っていうのではなく「人」という環境というのでしょうか。
たまには親孝行もしないとな〜w